眠たい羊 第1話[ 虹色パーカー ]             著 てくり(ライン文学大賞ファイナリスト等)




第1章-犀川の部屋着-

彼と別れた。

この春、私は地元金沢の大学を卒業、そして上京した。
憧れ。夢。
そう言ってしまうと、なんだか恥ずかしいけれど、他に思い当たる言葉がないから、やっぱりそうなんだろう。
今は夢のさなかだ。

大学では建築を学んだ。
何がきっかけか思い出せないほど、幼少の頃から「お家」に憧れていた。
だからといって、過ごした家が小さく不便な思いをしたとか、そういう訳ではない。
地方都市にあって、平均的な家で育てられた。いや、恵まれていたほうだと思う。

母曰く「岬ちゃんは小さな頃から雑貨屋さんが好きだったものねぇ、それが影響したかしら」

小学生の時分、母は私にいくつもの習い事をさせた。
バレエ、習字、英会話、水泳、ピアノ、剣道。
しかし、どれ一つとして身につくことはなかった。
ごめんなさいお母さん。

習い事の送り迎えは、やはり母が送迎する車だった。
その車中、母とよくもめた。

「もう、行きたくない」「つまらない」「違うことをやりたい」
今にして思えば大変な贅沢だと思う。

不満や愚痴をこぼす度に、当然母に叱られた。
そして私はそれに反抗した。

私のこととはいえ、半ば強制的に通わせた習い事。
母にもきっと負い目のようなものがあったのだろう。
叱咤激励のあとは、私をなだめすかした。

早い話がアメとムチだ。
そのアメは近所にある雑貨屋さん。

習い事からの帰り道、車中で泣き言をもらす私に、散々っぱら怒った母は「ちょっと寄っていこうか」とウィンカーをだす。
その先には,街の中心を流れる犀川のほとり。雑貨屋さん。

犀川は金沢の中心を流れ、日本海へと注ぐ。金沢の文豪、室生犀星がこよなく愛した川だそうだ。自身のその名にも取り入れたほどだから、思い入れの程が知れる。
実際、茶屋街を中心に観光スポットにもなっており、いわゆる「わびさび」の風情を感じられる。
そして私も好きな場所だ。というより大切な私の原風景だ。

西茶屋街から1ブロックほど離れた犀川のほとり、小さなコンビニほどのたたずまい。そこが母が「寄っていこうか」と私をなだめるアメの場所だ。

全体的に無垢の木を使用した壁はハンドメイド。要所要所に塗られた赤いペンキ。
幾年もの風雪を耐え忍んだであろうレンガが入り口扉を囲っていた。
店内からは白熱球の淡い光が常にもれだしていた。

この地方特有の曇り空が多いなか、その光は暖かく、中へといざなっているように思えた。
私にとってそこはテーマパークだった。キラキラと輝いて見えた。

スーパーや文房具店、ホームセンター。そんなありふれたところにある、ありふれた物ばかりなのに雑貨屋さんに並ぶ物たちは、どこにでもあるのにどこにもない選びぬかれたものだった。
台所用品はキッチン雑貨、文房具はステーショナリー。寝巻きはパジャマ。部屋着はルームウェア。
そんなふうに雑貨屋さんに、物が並ぶと、その物達は名前を変えた。

私はすっかり魅了された。
事あるごとに、雑貨屋さんに並ぶ品々をねだった。それが目的で駄々をこねたこともあったような気がする。
シャーペン。ランチボックス、フォトフレーム、キャンドル、アロマグッズ。細々としたファッション雑貨。

そして次第に、大きなものが欲しくなる。
インテリア雑貨から始まり、イス、テーブル、照明、チェスト、ソファ。
そうなると「このテーブルに壁の色があわない」「床の色があわない」となってくる。

中学を卒業する頃には「部屋」ひいては「家」そのものに興味をもつようになった。
習い事は何一つ身につかなかったが、その行き帰りに寄った雑貨屋さんが、私の進路を大きく決定づけた。

地元大学の建築学科になんとか滑り込んだ。
それが4年前の春。
そしてそこで彼と出会った。

建築学科必修のパース作画の演習時間。不慣れなCADソフトのせいもあり、イメージどおりの線が描けずにいた。
実習講義のあとも納得がいかず、その日はCAD室にこもるように居残った。
モニターを睨むことに時間も忘れた。

気付くと教室にはオレンジ色の陽が斜めに差し込んでいた。わずかな埃が陽を受けて、教室を右へ左へとたゆたう。秋の終わり、冬の入り口。そんな季節だったと思う。
目に疲れを覚え、席を立つとパーテンションで囲われた向こうのCADの前に、やはりモニターを睨む人がいた。
頭をかきむしっている。
同族に邂逅したようで「お疲れ様」と密かに胸の内でつぶやく。

外の空気を吸うために教室の出入り口に向かう。
かきむしる頭の向こう側に、モニターがのぞき見える。

面白い線を書く人だなぁ……

と言うか凄い。思わず見とれた。

「何?」
かきむしる頭がこちらを振り返っていた。
小作りな顔に勝気そうな目をたたえた人だった。その瞳にオレンジの光が射さり金色に染まっている。
きっと髭は極端に薄いのだろう。その頬の産毛も金色に輝いていた。
胸元には、夕陽にコーディネイトしたような金色に輝くロケット。本来は銀色なのだろうけど今は金に輝いて見える。その胸に随分長いこと居座っているのか。鈍い光を放っていた。その人が身じろぎする度にわずかに揺れた。
少年のような顔立ちに、まなじりを寄せて、苛ただしい気持ちを隠そうともせず、金色の双眸が私を見上げてくる。
「で、何?」
我にかえり、慌てる。
「いや、ゴメンつい見とれて…ってそう意味じゃなくて」何を言っているんだろう。言いながら耳が赤くなっていくのが自分でわかる。
もう一方で、なんで私がこんなガキみたいな奴にあわてなきゃならない。と、何故か腹が立つ。

「外の空気、吸ってくる」
そう言い放って踵を返し、ズンズンと音が聞こえるほどに教室の出口に向かった。
背中で「なんだ、そりゃ」と聞こえた。

教棟を出てベンチに腰掛ける。
ペットボトルの中身をゆっくりと、口にふくませるようにして体内に注ぎ込む。
そうすると体の熱が少しでも拡散していくような気がした。
それでも意に反して胸の鼓動は治まらない。

あんな奴いたっけ?
名前はなんというのだろう。同い年だろうか。どこの高校出身だろうか。いや他県から来たのだろうか。
どうして建築を目指すようになったのだろう。

目の前の課題に集中しなければと思えば思うほど、余計な邪推が頭を過ぎる。

皮肉めいた教え方をモットーとしている節がある教授の顔を無理やり思い浮かべて、何とか気分を修正する。

気後れせぬように、意識して胸を張って教室に戻ると、金色の少年はいなかった。
だが、モニターはつけっぱなし。

彼も気晴らしだろうか。
いないことをいいことに、あらためて彼が向かっていたモニターを見る。
そこに描かれた線はやっぱり人を惹き付ける。この線と線のつながりを見ていると我知らずワクワクと内臓が持ち上がる。
雑貨屋さんに入るときの眩暈にも似た興奮が体をふるわせる。

これだけのものを描きながら、金色の少年は何を悩んでいたのだろう。
繁々と見つめる。
すると、その悩みがわかった。
多分、ここをこうすれば金色の少年が求めるものになるのではないか。
私は思わずマウスを手にとり、そこに線を書き加えた。

「なるほど」右肩のあたりで声がした。
金色の少年が、いつの間にか私のすぐ後ろにいた。
「ゴ、ごめん勝手に触って」
「いや、いいよ。良くなった。て言うか凄く良くなった。イメージどおりだ」
素直に感心してくれているようだった。ちょっと悔しいけど、やるなお前、などと言いながら私の顔のすぐ横でフンフン言っている。そして 、おあいこだな、とつぶやいた。
「ちょっといいか」そう言うが早いか、金色の少年は私の手をとり、私が使っていたCADの前へとつき進む。
身長は私と同じぐらい。ひょっとすると私のほうが背が高いかもしれない。などと余計なことを考える。
「実はな、オレもちょっとお前のいじってみた。勝手にいじくったけどあやまらねえぞ。おあいこだ」
CADの前、金色少年は私の手をひいたままに、マウスをつかみスリープ状態のモニターをたたき起す。
たちまち線の集合体が浮かびあがる。
これだ。
画面を見た瞬間にそう思った。
私が頭に描いた線はこれだった。
「すごい、凄いよコレ」
「だろ?」ヘヘ、と金色少年は照れ笑いのような、誇らしいような顔をした。
「スゴイ、スゴイ」
「だろ?だろ?」
思わず両手で彼の手を握り、ぶんぶん振った。
2人して互いの出来栄えに興奮した。
2人して互いに足らぬものを持ち、それを補いあったことに興奮した。
そして互いに意識せずに、そうなったことに興奮した。
「でさぁ、多分こうだと思ったから、こことここに線を引いて」
「うん、うん。そっかぁ」
「私は奥行きに広がりが欲しいのかな?と思ったから、逆に手前にこんな感じの線を引いたみた」
「そうかっ、そうだよなぁ。オレは意識させたい場所ばかりいじっていたよ」
互いの両手を両手にとり、腕をぶんぶん振り続けた。

今にして思えば、何故あの時互いに手をとりあっていたのだろう。
きっと互いに胸の片隅で、そう望んでいたのだ。
そう思いたい。

やがて興奮も収まると、やはり彼に意識が向いてしまう。
知らずのうちに金色の虹彩に魅入られる。
その瞳もこちらを向いていた。
長くそうしていたような気もするし、一瞬だったような気もする。
唐突に彼が口を開く。
「良く見ると可愛いんだな」
「ひと言、余計」
生意気な口に唇を押し当ててやった。