眠たい羊 第1話[ 虹色パーカー ]             著 てくり(ライン文学大賞ファイナリスト等)




第3章-季節の終わり。灯りを目指す衣替え-

別れの季節は就職活動とともに始まった。
コータも当たり前のように東京に出るものだと思っていた。
コータはコータで、この地で私と暮らしていく事を当たり前のように思っていた。

「なんで今さら、東京なんだよ」
「今さらって、」散々話したはずだ。それなのに。その言い方に私も血がのぼる。「東京だよ。人が集まるんだよ。情報が集るんだよ。そこにトレンドが生まれるんだよ」
「トレンド、イコールいいものなのか?それが理想なのか?」
「確かにそうかもしれない、そうかもしれないけどコータが好きなクラフト系リノベーションだって、トレンドから派生したとは思わない?」
「それは否定しない。だからさ。今トレンドはこっちにあるじゃないか」改修し、さらに魅力あるものにする。その土台となる古民家などのことをコータは言っている。
「私もそれは否定しない。だけどその地方のトレンドが未来永劫こちら側にあると思う?私はそうは思わない。時代を超えた普遍的な造形美は確かに存在するけど、それすらその時代の背景やトレンドによって産みだされたものじゃないの?」
「そうだよ、そうだと思うよ。そこまで考えているならなおさら、今ここにいるべきだろ」
ココにいるべき、その言葉が胸をチクリと刺す。刺された胸が痛みをこらえるために反駁を口にしてしまう。
「なんで?」
「なんでって、わからないのかよ。今のトレンドがこっちにあるからじゃないか。今やるべきことがここにある」
「でも、その潮流の源泉はどこにあって、何から産まれた?」違う。もっと違う言い方があるはず。
「……エコロジーだ」
「そうでしょ」
「あんなものは幻想だ」
「話題をすり替えている」やめて、やめなさい。どうして私はそんな言い方しかできない。
ふーっ、コータは肩で大きく息をして「わかった」とつぶやいた。
「今日はもうこれくらいにしておこう」
ダメ、ここで終わらせてはいけない。このまま今日を終えてしまったら、2人の胸の内に澱のように積み重なっていく何かが怖い。
だけど続く言葉が見つからない。

口を開いてしまえば、自己弁護の正当理由だけがコータに刺さりそうで怖い。
そうじゃないのに。
鬱々とした時間が流れた。表面上は変わらずの二人だったが、ふとした瞬間、沈み込むように静寂が訪れる。
静寂は一枚のベールのように降りてくる。
それまではっきり見えていた輪郭は朧げになり、色彩はくすむ。
大丈夫、こんなことはなんでもない。一般的にみれば極々ありふれた話だ。
大丈夫。大丈夫。
だけど、ありふれた話の結末はどんなありふれた結果になるのだろう。そして時間は速度をあげて駆けてくる。
焦る。
大丈夫と思う気持ちと焦る気持ち、重なるベール、未来、夢。

ルームウェアよりリクルートスーツを身に纏う時間が長くなった。
「御社の手がけた物件に感銘を受けて…」
何度同じようなことを言っただろう。まるで呪文だ。
「ちょっと待って、それ本当?」
合同企業面接会。イベントホールは100社にものぼる企業のブースで仕切られ、そのブースの前を着慣れないスーツ姿が右往左往している。全員が全員緊張に強張った笑みをその顔にペーストしている。
その日目指した企業は小さいながらも、最近になり一般紙に手がけた物件が紹介されるような設計事務所だった。だが企業規模としては小さい。採用予定人数も1名となっている。
面接官は女性。艶やかなストレートの黒髪が印象的なきれいな人だった。間違いなく美人の部類。街ですれ違えば男女の性を問わず彼女を振り返り、目で追ってしまうだろう。
「そんなことは百も承知だと」勝気な目元が語っている。
それだけにその格好に目がいってしまう。「ごめん、このあとすぐこっちの現場なんだ」面接冒頭、面接官は作業着のえりをつまんで、肩をすくめてみせた。
「ウチには人事部なんて洒落たものもないしね」とも言った。それにしても随分とフランクな物言いだ。
作業着をまとったクールビューティーが私以外には目に入らないといった感じで、こちらを見つめてくる。

これまで何社も面接を受けてきた。
淡々としたやりとりの中で、私の何を見られ、何をどう判断されたのかさっぱりわからなかった。だが、目の前のこの人は私に穴を開けるほどの勢いで視線を投げつけてくる。お仕着せの答えでは、この視線を跳ね返せない。
手がけられた3つの物件をあげた。どれもお気に入りだ。特にそのうちの一つがとても気に入っている旨を伝えた。
「ああ、雑誌に載ったやつね。どこが気に入った?いい仕事だとは思うけど流行りっちゃあ、流行りでしょ。ああいうの。ウチでなくともできたと思うよ」
にべもない。薄くきれいな唇が作る言葉は私を突き放すようだ。
「違います。ほかとは違います」違う。あの物件だけは違う。他にはない。私とコータが二人して思わず見とれたものだから。二人が二人して目を奪われた唯一のものだから。
「何が違うの?」
コータの話をするわけにもいかない。
「あんなにも異素材のものを使いながら、一つのものとしてまとまっています」
「だから、そんなの他にもあるじゃん」
「その素材の割合が絶妙なんです」
「そうかぁ?」
「素材そのものを使った色合いもっ」
「そうかねぇ」
「そうですっ」初めて会った日のことを思い出す。二人で引いたパース。完璧だった。そう。そうなんだ。二人で完璧だった。
「たいした仕事じゃないよ、あんなの」
たいしたことない?あれが?私達二人でも追いつけそうにないあれが?なんであんたにそう言いきれる?

何かの蓋が外れた。

「あんな凄いもの一人で書けないっ」自分で何を言い出そうとしているのかわからない。
「私一人では書けない!」
もはや敬語も何もない。
「一人じゃ絶対無理!」
一人で大声をあげていた。怖くて顔をあげられず。自分の膝をにらんでいた。
「……大丈夫かあんた?とりあえず顔ふきな。バカみたいに急にボロボロ泣きやがって、私がいじめたみたいだろ」ティッシュを2,3枚とって投げるように渡された。「何があったか知らねぇけど」と言われながら。
「……すみません」絞りだすように声にした。情けなさと恥ずかしさに今すぐ帰りたい。
「で、あんた名前なんつったけ?」
はじめに言った。
「岬です」
「私はオメェの合コン相手か」
「す、すみません仙道岬です」
「なんだよ?さっきまで元気だったくせに棺桶に片足突っ込んだババァみたいな声だしやがって。情緒不安定だな。更年期障害かおまえは。ま、面白かったからいいけど」
……怖い。これが東京弁?ダッダッっと美しい口元から棘が打ち出される。
「ふうん」言いながら彼女は放り出されたように横に置かれた私のパースにやっと手を伸ばした。破りそうな勢いで広げ、また一声「ふうん」繁々と眺めだした。
「確かにあんたにゃ、あれはまだまだ書けないだろうね。細かいことにこだわりすぎだ。全体が捉えられていないから細部が見えてこない、細部が見えないからそこを補おうとして細部だけをいじってなんとかしようとしている。結果、細部への配慮が足りなく見える」
まるで自分の内面を見透かされているようで恥ずかしい。
「はい」またダメか。当然だ。最低最悪の面接だった。
「ま、東京の事務所ならどこでもいいやって訳でもなさそうだね。ところであんた男はいるの?」
「……っ、はい?」
「どっちなんだよ。って、いないな。そのツラじゃあ。今から言っておくけど腰掛のつもりじゃ困るよ。まぁそうだな5年。5年私がこき使ってやるよ。そうすりゃあんたもあれぐらい書けるようになるだろうよ」
「え?」
「え?じゃねえよ。使ってやるって言ってるんだよ。私は正丸(しょうまる)花子。よろしくな岬」
「え?」
「え?じゃねえよ。ハイ。お願いします。だろ?」
「は、はい……えーっと、一次面接が合格ってことですか」
「バカかあぁたは、おメェの顔の横についているのは餃子か?餃子だとしたらまずそうだな。いいか?言ったろ?ワタシャあ忙しいんだよ。一次もイボ痔もへったくれもねぇんだよ。あぁたらみたいなポンコツどもに割いてる時間はないの」
「え?それじゃあ」
「飲み込みのワリぃ更年期障害だな」言って彼女は立ち上がり、ブースに連なり並ぶリクルートスーツ達に声を張り上げる「待たせてゴメン!ウチの採用はこのアンポンタンに決めたから他に回ってくれ」言って、これでいいか?と私に向き直る。
「は、ハイよろしくお願いします」
よろしくしていいのだろうか。
「ついでに配属まで伝えてやろうか?あんたは私の部下だ」
「へ?は?はいよろしくお願いします」
「なんだよ不満か、あぁたみたいな訳のわからない下手糞マスカラ女を使ってやろうってんだ有難く思いな」
「はい」
本当にここでいいのだろうか。
「あんたと働く日を楽しみにしているよ」
不安だ。
「とりあえず、今日はもういいよ。細かいことは追ってウチの誰かがたぶん連絡する」
誰が?たぶん?
「ありがとうございました」
そそくさと背中を向けると「岬」と思い出したかのように声をかけられた。
「あんたが涙して精神分裂気味に力説してくれたあれな、私が作ったんだ」
口の悪さと感性には何の因果関係もないらしい。
ほとんど滑り込むようなタイミングで、私は社会人になれる資格を得られた。


「そっかあ、良かったな。…東京か」
卒業を間近に控え、寒空の下、犀川のほとりを二つの影はとぼとぼと進む。久しぶりの影達は重なることなく川をくだっていく。
孝太は先輩とやらと古民家再生のプロジェクトに加わるつもりだと言っていた。
「で、どこの設計事務所に勤めるんだ?」
事務所名だけ告げた。
二人で気に入ったあの物件を手がけたところだとは言えない。言えばなんだか媚びているようだ。
それにそうすれば孝太はきっと私を優しく労わってくれる。そしてその優しさはきっと孝太の未来への道を鈍らせる。
孝太もそれをわかっている。私がきっとそう思うであろうこともきっとわかっている。だから私も「うん」とだけ応える。
このまま道なりに進めば、あの雑貨屋さんにぶつかる道。でも、たぶんこの歩みは雑貨屋さんまでは届かない。
「オレは金沢を守るよ」
「かーっこイイ」
「……」
一つの影は止まり、その主は私を見つめる。あの日のように。ちょっと挑むように。今の孝太の目尻には笑顔の残滓はない。もう笑顔は見られないんだなと悟る。ただ見つめてくる瞳が何を言い出すのか怖くて聞いてしまう。「何?」と。以前なら言葉を交わすことなくいつまでもそれを見ていられたのに。
「もう一度言ってくれない?」
「何を?」
「今さっき言ったこと」
「…かっこいい」
「良し、」
「かっこういい」
「良し、良しッ」
「私にも何か言葉をください」
「うん。……千堂岬。良く見ると、かわいいんだな」
「一言余計」
ほんの一瞬重なる影を誰かに撮ってもらいたかった。
「じゃあね」
「じゃあな」
「……」
「……」
「卒業式はスーツ?」
「うん。ビシっとな。そっちは袴?」
「うん。キランとね」
「なんだそりゃ」
「キラン」
「ビシっ」
「じゃあね」
「じゃあな」
最後に少しだけ彼の笑顔が見られた。
彼を見たのはその日が最後だった。卒業式の日は仕事だったそうだ。ビシっとは見ることはなく、キランは見せられなかった。
いつか願った、感覚さえも撮り収めることのできるデバイス。あれは不良品だ。壊れているという意味ではない。そのデバイスはきっと人には不要だ。それがあれば人はそこから前に進めない。再生だけの毎日を過ごしてしまうだろう。